あしたのために

http://simamotoblog.zenryokutei.com/?day=20060913

書いた人が「部数が少ないので早く買わないと無くなるよ!」と煽ってたので

急いで買いに行ってきたよ

あしたのジョーの方程式

あしたのジョーの方程式

確かに三省堂にも1冊しか並んでなかったわ

大変面白く読ませて頂きました。



強い奴のインフレをどうするか?という現在のバトル漫画が抱える問題に対する

まっとうな解答のひとつが本書だと思います。

力石、カーロス、ホセのジョーが勝てなかった3人のボクサーとの関係に注目することで

ジョーの目指していた「あした」が見えてくるという流れなのですが、

言われてみれば後半は完全に段平のおっちゃんは置いてけぼりでジョーはひとりであしたに向かっちゃってた感がありました



僕も、本書の中のササキバラ氏のように「カーロス戦以降のジョーってあんまり面白くねえなぁ」

ないし、蛇足だからカーロス戦で終わっておけばすっきりしたのに、くらいに思ってたのですが、これを読むと

腑に落ちる!



…ただ、それは今までジョーの中で好きだった部分まで一部意味合いを変えてしまう方程式なのかもしれません

そういう意味でこのあしたのジョー論を自分がどう受け止めたのか、というのは一度ジョーの方も読み直してみないと解らないなぁ。

読むとジョーを読み返したくなる、そんな本ですよ。



案外「やっぱカーロス以降は要らないんじゃね?」かも知れない気もするんですよ

―なるほど。力石は自分の意志で、自分の体をコントロールしたけれども、金は自分の体によって、意志をコントロールされちゃってるわけですね。

そう

―そういう理屈がわかったとたんに、なぜか突然強くなって勝つというのは、なんかいいっすよね(笑)。なんだか島本和彦のまんがみたいだ。

こういう精神論で急に強くなるって展開*1、シリアスな漫画でやられるとすげー醒めるんですけどね。俺は。

(その前の金が聞いてもない身の上話をはじめて対戦相手を嫌な気分にする戦法も嫌だ)



そういや、島本まんがにも似たようなシーンあったなぁ

「燃えるV」の赤十寺戦だったと思うけどバテバテになりながらも

「そんなにバナナがほしいのか、いやしいやつめ」(はっはっは)

「ち、ちがうんだ父さん、待って〜!!」

(略)

「そうだ…おれに根性があるということは…おれを産んだ母ちゃんや父ちゃんにも根性があるということなんだ

それを証明するためにも、俺の中に根性がなくちゃいけないんだ!」

ってあたりのくだりでしょうか…このシーンは好きなんだよな*2

まあ島本は熱血ギャグ作家だからいいんだ

基本的になんだか口げんかで決着しちゃうこと多いよな(笑)その辺の舌戦が魅力なんだが


―キャラクターの身体性をどうとらえているかという問題ですね。

(略)

もともと何でもやれちゃうまんがという表現の中で、いかに限界を持たせるか、という形でそれが浮上してくる。限界があるということを読者に意識させることが、リアリティにつながるんですよ。だから、読者をがっかりさせないかぎりでの限界性というか、そういうものが必要になってくる。そこで、身体の限界性ということが浮かび上がってくるわけですね。

と「方程式」の最初の方(P31)にあるとおり、あくまでスポーツマンガとしての肉体性を迫力ある絵で表現している作品だからこそ試合中に小理屈こねて、いきなり強くなるって展開に違和感を感じたのだと思うんですよ。




ところで、島本先生がゲーム版のあしたのジョーをクリアした熊本でのサイン会って俺行ったよ!(笑)

逆境ナインの単行本はまだ出てない時期で、会場で売ってたのは仮面ボクサーだった

なんか田中芳樹の代打だったので知り合いの腐女子はぶーたれてたが俺は嬉しかった。

そして島本先生を前に舞い上がっていた俺は先生に心配された(笑)

2,3人前の人が描いてもらってたテニスしてる次郎丸の色紙良かったなぁ

今思うと、俺のオーダーに「何ソレ?」言ってた人がササキバラ氏だったのかしら。

*1:前述の理屈で金より偉い力石のライバルだった俺(ジョー)が金に負けたら力石に合わす顔が無い、と気合いが入ってジョーがパワーアップする

*2:ご本人はこの作品嫌いだそうですが俺は大好きです。このあとの(膝がガクガクで汗や疲労でラケットも持ちづらくなったが)「いや、だめじゃねえっ!!」「なんかしょだめになっちまっても根性がひとつありゃいいんだ!!」「や…やったね!根性もってると得だぜっ!!」がまたいい