はじめに何も言ってなかった

<これまでのあらすじ>
仮面ライダーゼロノスは変身するたびに人々の記憶から忘れられていく…つまり戦えば戦うほど世界から孤立していくという鬼設定と、それを覚悟で世界を、まだ出会っても居なかった愛する人を守るために戦う、という哀愁を帯びた設定がなんとも魅力的なライダーでした。もっとも初期はやけに良太郎にからんだりと嫌な奴描写も多かった。
 
仮面ライダー×仮面ライダー×仮面ライダー THE MOVIE 超・電王トリロジー ゼロのスタートゥインクル>
恋愛映画だった。 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
いびつな映画だなぁ、というのが正直な感想。
テレビシリーズでは大きなハナさんが小さなコハナちゃんになったが、4年の歳月はそのコハナちゃんを中ハナさんにしてしまったし、良太郎も佐藤健ではなくなんかちっちゃい子。デンライナー、ゼロライナーの面々は放送当時のままですが。
 
何で彼らがあの時間であんな関係なのかさっぱり分からない…というのはまず前作の鬼ヶ島の戦艦を見ていないのが大きい様な気もするし、多分見ててもその違和感はつきまとう気はする。
映画の予告編で終わっちゃうディケイドの電王編ですでに俺げんなりしてて、劇場まで見に行く気力が湧かなかったんだ。
それにしても侑人が「現在の」アイリさんと恋愛劇(だかなんか)を繰り広げるという展開はどうにも違和感がつきまとう。過去からやってきた侑人は自分の時間に戻りそこで自分の人生を生きるべきではないのか。コハナやコ良太郎の違和感も大きい。
もっとも、テレビシリーズで桜井さんがアイリさんの目の前で姿を消した*1のは、ゼロノスの力を多用しすぎた侑人が彼の人生を生きて行っても、もうアイリさんと巡り会う未来はあり得ないという事を示していて、同じ男としてアイリさんに惚れた侑人があの時間を離れがたい、と言うことなのか…?
そんな私用に使えるものだったけ?時の列車って…
そもそも時の運行を守ることの意味とかを良太郎に繰り返し声高に叫んで居たのが侑人ではなかったか?
とかそういう気持ちでなんとももやもや…
戦闘シーンもなぁ…せっかくの劇場版なのに、テレビシリーズと何ら変わらないせこい雑魚相手では盛り上がらないとしか… 
あらすじで挙げたような、己を捨てて戦う覚悟にこそ惚れてた男性視聴者としてはがっかりした、としか。

もっともヤング侑人に対して壁を作っていたアイリさんが彼の手を取るクライマックスシーンとの表情の変化、あたりの芝居は見せてくれました。
 
ちなみにトリロジーの予告編はディエンド編が凄く面白そうだった。もちろん予告編の方が本編より面白いいつものパターンだと覚悟した上で見に行きますが(笑) 

*1:いや、映画でそのシーン流れたけどテレビでそういう展開だったか実はよく覚えてない