病んでます

昨日の日記についてえみさんから、

自分の意図したことと異なった意味に内容を受け止める方がいらっしゃるということは、自分の表現力、文章力の無さを痛感するところでありますが、そのような意味で書いてはおりませんので、お時間のほうございましたら、是非再読して頂きたく思う次第であります

とのご意見を頂きましたので昨日の反省会をいたしたいと思います。



読み返してみると主語が少ないので解りにくいな、と思いますがえみさんの文章に関する感想は

えみさんが大きなお友達の熱狂ぶりにちょっとあきれ気味の模様

という一文だけで、あとは私が自分で思っていることなのですよ。*1


コレに関してもえみさんは

私は「あきれ気味」でもないし

とコメントしていらっしゃいますが、私に言わせれば子供番組を見て一喜一憂している”大きなお友達”は存在そのものが痛いです。

もちろん、その痛さは自分が発していることをてらりんは充分知っておりますし、

たまに「かわいそう」だの言われることもあるけど、そんなの気にするようなタマだったら今頃とっくにヲタ抜けしてますから。

気にしてません。というか必死で気にしない素振りを取り繕っているのかもしれませんが、まあ私的にはあまり突き詰めて考えてもいい物が出てくるとは思いづらいのでコレに関してはこれで決着したことにします。



もしくはえみさん自身に「大きなお友達はイタい」という視線が注がれるのを嫌って「あきれ気味」ではない、と言わせているのかもしれませんが、実際はどうあれ小さなお子さんの母親というのは子供番組を一緒に見ても世間的におかしくありませんから。


『光と闇の戦いの終結』において『大人が納得できるレベルの完成度』
を求めている大きなお友達の多さに驚いています。幼年向けアニメに他の大きなお友達向け
アニメ同様の完成度を求めることのフシギさ…。

個人的には子供向け番組を見るときの気持ちって子供を持つ前から、
「子供達の見てるものをちょっと覗かせてもらって、それでもって楽しめたらいいなあ。」
位の気持ちだったのですが、人によってそれは大きく異なるようです。

とはえみさんのお言葉ですが、この片仮名書きの”フシギさ”には「イタい」「いい年して何やってんだ」的なニュアンスを感じました。

"驚いています”にも「こうあるべき視聴スタイル」の存在を伺わせます。

大人の鑑賞に耐えうる作品を望む態度が「悪いこと」とは思っていない、との事ですが”フシギ”という表記にはとかくマイナーなイメージを呼び起こされます。

えみさんの内部にもともとそれが在ったのか、それとも自分の内部に埋まっていたものをえみさんの言葉が掘り起こしたのか。それは解りませんが




身も蓋も無い言い方をすれば、テレビアニメなんて所詮玩具の宣伝フィルムなんだから ガキに媚びてなんぼ、って事なんだけど。そんな言い方、愛が無い。

これは自分で自分の発言にツッコミ入れてます。駄目な文章。

”身も蓋も無い言い方”をしているのはてらりん。

ええ、肝心な所で愛が足りません。足りてたらいい年して2次元の女子中学生なんかに入れ込んでる暇は無いような気がします(笑)



や、でもテレ朝日曜の7時から9時までは明らかに玩具のPRタイムだと私は思いますし、それは世間的にも自明の事だと思っていたんですが…。

あと、3人組登場後のプリキュアは明らかに媚び路線が強くなったと個人的には感じております。

でも、前年に同じ時間枠で厚みのある人間ドラマを見事なまでに描ききり、
その結果もたらされた重苦しい雰囲気を嫌ったメインターゲットにそっぽを向かれ
、現在も大量の不良在庫を抱えるスポンサーがそんなん許すわけないのではと思うのですが。

というのは(意地の悪い言い方をすれば)同じ事を言っていると思うのですが…

アニメの制作費はスポンサーが出して居ますので




…と、まあそんな事を考えされられたのですがそのあたりは本題の枕なんでこんなにクドクド書きたくなかったんですが。

結局のところ1話、8話、11話、13話、15話、17話、18話、20話、21話、42話が大好きだ、というような事が言いたかったらしい。

あの時運命の扉が開いたよ*2

*1:…と最初に書いてみたが最後まで書いてみると、やはり少なからずえみさんがそういう風に見ていると思っていたのでは無いかと思えてきた。誤読とか曲解とも自分では思えない。あと意地っ張りなので不愉快な思いをさせてごめんなさいとか”とりあえず”謝るのも嫌思いやりの無い男。てらりんです。

*2:一体いつだ