オタク・イズ・デッド
前に岡田斗司夫の講演会のこのタイトルは釣りだったんだな、って書いたんですが、
それはそこで語られたオタクが、この場ではこういう定義ですよ、という条件付きで語られたものだから。
まあその辺の事情が分からなくて、イベントの後、web上のこれの感想を読んで憤慨するオタクが多かった、
というのはまあ気持ちはわからんでは無いですね、オタクは死にましたよ、って感極まって声を詰まらせながら
語られたって今ここにいる俺はなんなの?的に存在を否定された気分にはなりそうだ。
実はその辺の定義を延々とやってるうちに、もう「オタク」に分類される人種があまりに多くなりすぎて、
オタクって言葉の意味がわからなくなってきたな、というような話だ、とまあ同人誌にまとめられた物を読んで俺はそう受け取りました。
で、オタク第一世代、第二世代、第三世代と年代ごとのオタクの特徴と何故第三世代と古いタイプのオタクが
共通文化、共通概念をとりにくいのか、という話から「オタク・イズ・デッド」という結論に持っていくわけですが、
この辺は俺の能力じゃかいつまんで解説するのは無理ですんで、ご興味あるかたは同人誌の方をお読み下さい
(というかこの本はそこに至る道筋を91ページに渡って解説してるわけで)
まあそれにしてもやっぱり第一世代のオタクとか昔のSFファンは濃いな、ってのが
一冊読んでもダメ、百冊読んでもダメ、千冊読んだら、SFってなんだかそろそろわかるんじゃないかなっていうふうに言われた。
僕の先輩から言われたんですよ。僕はある程度、読書したから、僕はSFわかってますよと言ったら、ではおまえ、なになに読んでるかって、翻訳されてない小説とか言われちゃうんですね。で、読んでないです、って言うとおまえはまだわかってないと言われる時もある。
それがくやしくて、高校2年か3年ぐらいのときから、ペーパーバックの翻訳を自分で始めたんですね。辞書を片手に。
そんなことをやらなきゃいけないぐらい、当時のSFというのはハードルが高くて、なんかこう、特訓みたいなものをしなきゃなかなかわかんないものだったんです。
ってあたりで、その辺の話を聞くと
「何でそんなに必死だったんですか?」
と思っちゃうあたりは、俺ちゃんは年齢的には第2世代っぽいけどやっぱりオタクって言葉から濃い人という
意味合いが薄れてからヲタに分類されちゃったに過ぎないなぁ…って気がするよ
宮崎勤事件のあと「オタッキー」呼ばわりされたときにはとまどったものなぁ、僕そんなんじゃありません、
って言っても相手には…というか自分でもどう違うのかわからなかったものなぁ
この辺のとまどいは、げんしけん9巻の特装版の付録同人誌で篠房六郎先生が実に活き活きと
(どろどろにw)描写してて面白いです(というかはてな界隈は本編よりも篠房先生の漫画ばっかり話題になってるw)
で、岡田氏ですが、分かり合いにくくなってきたオタクはとにかく自分で表現(というと大げさな感じだけど
好きなものを受け身で楽しむだけじゃなくて能動的に楽しもうくらいの事、かな?)
してそこでコミュニケーションとった方が幸せなんじゃないかな、ということで締めくくっている模様です。
なんだプチクリの宣伝かよ、という気もするんですが、本人は違うと言ってる(笑)し、なによりこのあたりにくると時折感極まって言葉に詰まる場面なんかもあったというレポも読みましたので
やっぱりそういうオタクの世代交代…というか薄くなっちゃうのが寂しい、とか悲しいというが本音ではあるんでしょう。
そういう気分にさせられる第一世代の濃いコミュニケーションとはどんなものだったろう?
と薄い世代には想像が許されるだけですね。
いや、ご希望なら別に千冊読んでもいいですが。俺はスタージョンの法則を体感するのは遠慮しときます。
というか、ガンダムがSF界に薄いSFファンをはびこらせてSFファンの連帯感が死ぬ一因になった…なんて
話がありますが、俺なんかもうそのガンダムシリーズに付いて行けなくなってるし(笑)
モニターの前のお友達はヘイズルガンダムの武装パターン全部わかる?
まぁ、歳だけはとってるので「初代のガンダム意外はガンダムと認めん!」と言い張ればまだ行けるけどな。
無理か、ZZてらりんなんてハンドル使ってると(笑)
あと一緒に買った月刊岡田斗司夫3号収録の田中圭一とズリネタに関して延々馬鹿話をしてるイベントの模様が面白すぎた。
特にコミケ大災害編(ズリネタなんですw)の竹熊健太郎氏なんか図らずも不謹慎な方向で面白くなってる。
あとバナナ握ってる写真がバカ過ぎるwww